ここでは、正解志向がなぜ間違いで、仮説思考がなぜ重要なのかについて説明します。ただ、哲学的に高度な話になるので、かなり難しいかもしれません。できるだけ分かりやすく説明しますので、ついてきてみてください。
「青い紅玉」という作品の冒頭で名探偵シャーロック・ホームズが、留守の間に訪れた依頼人が残していった帽子を観察しながら、所有者の人となりや暮らし向きまで見事に言い当てる場面があります。半世紀を超える探偵小説ファンの私も、子供の頃その格好良さに魅せられ、自分もいつかそんな見事な推理ができるようになりたいと憧れたものでした。
でも、私はシャーロック・ホームズにはなれませんでした。今ではその理由もはっきり分かっています。それを教えてくれた哲学者がカール・ポパーでした。問題は、どれだけ多くの証拠や根拠やデータを集めたら、ある理論が正しいことが検証されるのか、ということです。1000個の理論を肯定するデータを集めたとしても、1001個目のデータが理論を否定しない保証はありません。しかし、科学は客観的なデータによって検証されてこそ科学足りうるので、理論がデータによって検証されないのであれば、それは科学とは言えないのではないか、ということが当然に問われます。
ここでポパーは「検証」と「反証」の非対称性に注目します。理論が絶対に正しいことを「検証」することはできないけれども、理論が間違っていることを明らかにする(「反証する」)ことは可能です。言い換えれば、どれだけ根拠を集めても「絶対に正しい」とは言えないけれども、間違っていることは一発で分かるということです。だから、反証される可能性のある理論は、科学理論として扱ってよいし、扱うべきだというのがポパーの解決でした。
どれだけ多くの「根拠」を集めても「正しい選択」はできません。でも、仮説の間違いを発見することは比較的容易です。(もちろんこれにも技術がありますが。)シャーロック・ホームズのような百発百中の名推理はできませんが、間違えるたびに少しずつ真相に近づいて行く泥臭い凡人型探偵なら、ちょっとしたコツを知れば誰にでもなれます。英語も全く同じことです。