若い頃に誤解していた「We Are the World」を、米国文化を理解した今あらためて読み直すと、まったく違う世界が見えてきました。
1 We are the world
1985年に「We are the world」という曲が発表されました当時国際的な問題になっていたアフリカの飢餓救済のためのチャリティ盤として、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが作詞作曲を手掛け、スティービー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、シンディ・ローパーなど、当時の米国音楽界のスーパースターが結集して制作されました。当然、大きな話題を呼んだのですが、まだ若かった私としては、「We are the world」というタイトルを見て、「俺たちが世界だ!」とは、なんと思い上がった傲慢な嫌な奴らだろうと、いっぺんで嫌いになってしまいました。この捉え方には、20代で何も知らなかった当時の私が「強いアメリカ」を標榜し、敵対関係にあった社会主義国を「悪の帝国」と呼ぶレーガン政権に対して抱いていた、余り好ましくない印象と重なった面もあったと思います。
2 WorldとGod
それから30年以上たって米国で暮らすことになり、米国の文化について理解が進んできたときに、ふとこの曲のことが気になって歌詞を読み直してみました。するとそこには、若い時の印象とは全く違う世界が広がっていたのです。「We are the world」のworldには、明確な対概念があります。Godです。つまりworldとは、「神ならぬ身の人間の世界」であり、「神が作られた世界の一部である私たち」なのです。そして、歌詞の中にはキリスト教の思想そのものが散りばめられています。例えばこんな一節です。
We are all a part of God’s great big family
(私たちは神の大きな家族の一員だ)
As God has shown us by turning stone to bread
(神が石をパンに変えることで示してくださったように)
(”We Are the World”, 1985, 作詞:Michael Jackson & Lionel Richie)
3 米国社会と宗教
つまり、アフリカで飢餓に苦しんでいる子供たちも我々も同じ神の被造物なのだから、我々が手を差し伸べなければいけない、という強い宗教的モチーフの表現だったのです。米国の文化について考えるとき、キリスト教は極めて重要なファクターであり、宗教を度外視した米国文化論はあり得ません。
それにしても、現在の政治的・文化的分断が深刻化した米国で、こういう歌を米国中のアーティストが結集して合唱することなど、想像すらできません。その点について「昔の米国は良かった」と考えることには、十分な正当性があるのではないでしょうか。
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