英語を使うときに非常に厄介なものが「固有名詞」です。人の名前や土地の名前がコミュニケーションの障害になることは少なくありません。今回は、1回目としてまず人名についてお話しします。
ハイヤック?
ニューヨークに赴任して何か月か経った頃のことでした。事務所の米国人スタッフと話していて、彼が夕べ講演会を聞きに行ったという話になったことがあります。その講演会というのが、私に聞こえた通りにカタカナ表記すると「フレデリック・ハイヤック・アウォード」(「Frederick Hayek Award」)の受賞記念講演だったそうです。頭の中で「フレデリック・ハイヤック」という言葉が、私の知っている「フリードリッヒ・アウグスト・フォン・ハイエク」という人物の名前に変換できるまでに数秒かかりました。
一応ハイエクをご存じない方のために簡単にご紹介しておくと、オーストリア生まれで、ノーベル賞も受賞している経済学者で、社会主義に対する強固な反対者、自由主義経済の熱心な擁護者と知られています。1944年に出版された「隷従への道」(The road to serfdom)は、当時大きな議論を巻き起こしましたが、現在では社会主義批判の古典としての地位を確立していると言ってよいでしょう。同郷の友人に、このブログでも度々言及しているカール・ポパーがいて、ポパーをロンドン大学に招いたのもハイエクだったと言われています。米国との関係としては、1950年から1962年までシカゴ大学に在籍し、いわゆる「シカゴ学派」の経済学者とも交流がありました。
日本語における外国人の人名
日本語で外国人の名前を表記するときには、できるだけその人物の使用した言語に近い音で表記しようする傾向があります。従って、ハイエクはドイツ語に合わせて「フリードリヒ・ハイエク」と表記されますし、プラトンはギリシャ語、ヴェルギリウスはラテン語、ティツィアーノはイタリア語、エカテリーナ2世はロシア語に近い音で覚えています。
これが、例えばプラトンは英語表記では「Plato」になり、米国人の発音では「プレイドー」になりますので、直ちにプラトンの話をされているとは分かりません。同様に慣用表現も含めて、「Vergil」(ヴァージル)、「Titian」(ティティアン)、「Catherine the second」(キャサリン・ザ・セカンド)といった音を聞いて、誰の話をしているのかを判断するのは、なかなか困難です。まして、「Augustine」(オーガスティン)の話をいきなり聞かされて、「アウグスティヌス」のことだと分かるまでには、話はかなり先まで進んでいることになるでしょう。
王様や聖人の名前も厄介です。フランスのシャルルも、スペインのカルロスも、ドイツのカールも、英国王と同じチャールズになりますし、ロシアのピョートルも、スペインのペドロも、聖ペテロもみんなピーターです。
表音文字の厄介さ
こういう現象は、英語に限った話ではありません。多かれ少なかれヨーロッパ言語には共通する話です。アルファベットという「表音文字」を採用している関係で、兎にも角にもアルファベットで表記すれば、それが元の言語の音に近かろうが近くなかろうが、自国語の発音規則で読めてしまう、ということが起こります。先ほどのアウグスティヌスをフランス語で「オーギュスタン」、イエス・キリストをスペイン語で「ヘスス・クリスト」、キケロをイタリア語で「チチェローネ」と言われても直ちには理解できません。
それでも、まだ表音文字の世界の人はまだ理解しやすい、とは言えます。相手が表意文字の世界の中国人になるともう絶望的に難しくなってきます。英語で、孔子のことをConficiusと呼ぶのは比較的有名なのでご存知の方もあるかと思いますが、始皇帝 を「Qin Shi Huang」(チン・シー・フアン)、劉邦を「Liu Bang」(リウ・バン)、楊貴妃を「Yang Guifei」(ヤン・グイ・フェイ)、などと呼ばれたら、リスニングはほぼお手上げです。
対策はあるのか
さて、ではこういう人名の発音の混乱に対して、なにか打つ手はあるのでしょうか?私も正直、こうしたら良いという妙案にはたどり着いていません。ただ、ヨーロッパ人は名前のバリエーションが比較的少ないので、例えばドイツ語のフリードリヒが、英語やフランス語でフレデリックになり、スペイン語でフェデリコになることを押さえておけば、反応しやすくなることは間違いありません。ただ、このやり方にも限界があります。
固有名詞が聞き取れなくて、あるいは発音できなくて何が困るかと言えば、本当は知っていることを知らないものとして扱われてしまうことなので、平凡な解決策かもしれませんが、日頃から「この人ならこういうことは知っているだろう」と思わせておくのが一番良いことのように思います。そうすれば相手も、私の知識の問題ではなくて、発音の仕方の問題なのではないかと思ってくれる可能性が高くなる、ということは言えるでしょう。

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