ここでは、「根拠がない」ことを批判の材料としない方が良い理由について、私見を述べさせていただきます。
「根拠がない」という批判
様々な場面で、「根拠がない」ことにフォーカスした批判を目にします。「○○と主張したが、根拠は示さなかった」、「○○という根拠のない主張を繰り返した」、「○○という根拠のない情報が拡散されていることに注意を促した」といった表現は、報道などで度々使われているので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
努力と批判は違う
もちろん、何かを主張するときに根拠を示すべきなのは当然だと考える方は多いでしょうし、私もしっかりとした根拠に基づく議論をしようと努力することが悪いことだとは思いません。そのことと、他人の主張に「根拠がない」と批判することとの間には、大きな違いがあります。何故なら、自分が根拠のある主張をしようとするのは、議論を成立させようとするための努力ですが、他人の根拠のなさを批判するのは、議論を拒否することに他ならないからです。
建設的な議論のために
原則論
冷静に考えれば、根拠を示したからと言ってその主張が正しい訳ではないし、根拠を示していないから間違っているわけでもありません。また、聞く側に議論をする気がなければ、どんな根拠を示されても「そんなものは根拠にならない」と拒絶することが可能です。更に、問題提起や物事の解釈に関わる場合など、性格上「根拠を示す」のに適さない主張もあります。
方法論
根拠が示されていなくても、例えば「現在の若年層は両親の世代に比べて価値観が保守化しているから、いずれ出生率は反転するだろう。」というような主張に対して、その主張が自己矛盾していないか、飛躍した論理に基づいていないか、無理な前提を採用していないかなど、論理的な妥当性を検討することは可能です。そして論理的に妥当な主張であれば仮説として受け取り、どのような検証可能な、或いはカール・ポパー的な意味で反証可能な帰結を持つかを検討し、可能であれば実際に検証してみる、というのが建設的な議論のあり方ではないかと思います。そして、論理的に妥当性を欠く点や実地に検証して発見された誤りがあれば、そのことを批判した方がずっと生産的で嚙み合った議論になります。
どのような相手に対しても
もちろん、世の中にはおよそ出鱈目な主張や検討するに値しないくらい馬鹿馬鹿しい主張も、残念ながら少なくありません。そういう主張は無視すれば良いだけで、そこで「根拠のなさ」をあげつらってみても、何も得るものはありません。どうしてもその種の主張を相手にしなければならなくなったら、どういう点が出鱈目で馬鹿馬鹿しいのか、逐一親切に指摘するしかないでしょう。
相手の主張がどれほど荒唐無稽に見えても、「根拠がない」という批判だけで終わらせず、その主張がどんな論理構造を持っているのかを一度見てみませんか。
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