ここでは、科学史のあるエピソードを通じて、「合理的な疑い」についてお話しします。
オルバースのパラドックスとは
その昔、ウィルヘルム・オルバースという男が、夜空を見上げながら考えていました。夜空はなぜ暗いのだろうかと。何を馬鹿なことを、とお思いになるでしょうか?でも考えてみれば、当時信じられていたように、宇宙が無限大かつ静的でしかもあらゆる方向に均質だとすれば、全ての方向に無限個の恒星があることになり、如何に遠くの星から届く光ほど弱くなるとは言っても、何せ相手は無限ですから、地球に届く光の総量も無限、少なくとも非常に大きくなるはずなのに、実際には夜空は暗い。これは何故だろうか、というのが「オルバースのパラドックス」と呼ばれる彼が提出した問題でした。
役割を終えたパラドックス
現在では、オルバースのパラドックスの3つの前提-宇宙の無限性、静的な性質、均質性-はみな否定されていますから、この問題自体が成り立っていません。しかし、ビッグバン理論が広く受け入れられて最終的に役割を終えるまで、「オルバースのパラドックス」は間違いなく、科学的に意味のある問題だったのです。「オルバースのパラドックス」が直接ビッグバン理論の成立に影響したわけではありませんが、科学の発展がこうした「合理的な疑い」によって促進されてきたことは、認めて良いのではないかと思います。
合理的な疑いを容れる余地
オルバースは、何らかの「根拠」や「証拠」に基づいて疑問を提出したわけではありません。当時受け入れられていた理論の論理的帰結が観察事実と整合しないことを指摘するのに、「根拠」や「証拠」は全く必要とされません。オルバースが、宇宙の均質性や無限性を「証拠もなしに疑った」という言い方は一応成り立ちますが、それが如何に無意味な批判であるかは、ご理解いただけると思います。また、「夜空が暗いことに疑問を持つなんておかしな奴だ」という印象も無理からぬものではありますが、よくよく話を聞けば、彼の疑問がもっともであることは、多くの人に納得していただけると思います。
私は、この「合理的な疑いを容れる余地」というものを、もっともっと重視すべきだと思っています。疑いに現実的な根拠は要りません。誰かの頭の中に生まれた妄想であって一向に構いません。論理的に検討して、そうした疑いを持つことが確かに合理的だと思ったら、疑問を解消できるような仮説を立て、それが検証可能であった時に初めて現実との接点を持てばよいのです。逆に「根拠がない」からと言って疑問を却下してしまったら、もしかしたら新しい重要な認識に至る機会を失ってしまうかもしれません。
疑いを大切に
「疑い」は、とかく悪いニュアンスで語られがちですが、時として大きな発見をもたらしてくれます。自分の抱いた疑いを大事にすれば、時にあなたの人生に「ビッグバン」を起こしてくれるかも知れませんよ。
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