南北戦争

南北戦争と奴隷所有者たちの言い分

 ここでは、米国の南北戦争において、南部の奴隷所有者たちが何故、自分たちの主張が間違っていないと考えていたのかについて簡単にお話しします。勿論奴隷解放は良いことであり、必要なことであったのは間違いありませんが、そのことと奴隷制の存続を求めた側に正当な言い分がなかったかどうかは別問題です。私も奴隷制や人種差別には当然反対ですが、一方で、どんな立場の人に対しても公正な評価をする必要があると思っています。以下、私自身の経験も踏まえて、忘れられがちな「南部の主張の根拠」について簡単にご紹介します。

ヘンリー・クレイという政治家

 米国に赴任して3ヶ月が経った頃だったと思いますが、偶々仕事でケンタッキー州を訪れる機会がありました。仕事が早めに終わって、レキシントンの街で時間に余裕ができたので、同行した米国人スタッフに促されて、「ヘンリー・クレイ旧宅」という史跡を訪ねてみることにしました。現地に向かう時点で、私は寡聞にしてヘンリー・クレイがどういう人物なのかを全く知りませんでした。米国人スタッフからは、リンカーンが尊敬していて、演説の中で50回以上言及している人物だという説明がありましたが、さすがにその情報だけではどんな人物か全く見当がつきません。

 現地について展示を見、ガイドさんの話を聞いている内に漸く分かってきました。ヘンリー・クレイは、有償奴隷解放(奴隷所有者に政府が補償金を支払う形で奴隷解放を進める政策)を熱心に主張し、その実現のために奔走した政治家で、リンカーン自身も実はこのヘンリー・クレイの主張に共鳴し、有償奴隷解放を進める方向で途中まで努力をしていました。そんな関係で演説の中で何度も言及することになったのでしょう。結果的に南北戦争という悲惨な争いの結果、無償で奴隷解放が行われることになったのは、リンカーンが考えを変えたというよりは、大統領に就任して激変する情勢に現実的に対応しなければならなくなったため、という側面が強いようです。

 その時までヘンリー・クレイを知らなかったのと同様、「有償奴隷解放」という発想があったことやリンカーン自身がその方向性を支持していたことも、その時初めて知ったことです。

ナッシュビルの奴隷市場

 それから何か月か経って、今度はケンタッキー州の隣のテネシー州ナッシュビルに出張することになりました。ナッシュビルには、かつて奴隷市場が置かれていた跡地に解説板があり、それによると奴隷取引が盛んに行われていた頃、市場の門前に軒を連ねていたのは銀行だったという話です。どういうことかというと、奴隷は決して安価で取引されていたわけではないということです。良い奴隷は、手に入れるとその後何十年にも渡って所有者に収益をもたらしてくれる「生産財」ですから、当然生み出される利益に見合った高額の商品になります。南部の農場主たちは、門前の銀行で莫大な借金をしてでも、将来大きな利益をもたらしてくれる奴隷に投資していたのです。

 もちろん奴隷市場は公認のもので、奴隷取引は完全に合法的であって、奴隷が所有者の「私有財産」であることは、判例でも認められていました。だからこそ、農場主たちも安んじてリスクを引き受けて、奴隷たちに投資していたのです。これまた寡聞にして私は、それまで奴隷がどの位の価格で取引されていたのかを知りませんでした。奴隷が非常に高額な商品であり、所有者たちが大きな負債とリスクを抱えながら奴隷に投資していたことを知ってみれば、ヘンリー・クレイやリンカーンの「有償奴隷解放」という発想も俄然納得できるようになります。

奴隷所有者の言い分

 考えてみれば、「私有財産権の保証」こそ、自由・平等と並ぶ米国独立の理念であり、独立戦争の勃発の契機でもありました。いわばアメリカ合衆国という国の根本理念の一つとも言える訳で、奴隷所有者たちが「私有財産権」を保証しないなら合衆国の一員ではいられないと主張することは、彼ら自身にとっては当然の主張であり、神から与えられた神聖な人権を守るための戦いだと考えることは、全く不自然なことではありません。言わば同じ建国の理念である「自由・平等」と「私有財産権」との間で戦争が勃発してしまった訳で、南部の奴隷所有者が邪悪な魔物であった訳でも、筋の通らない主張をする愚か者であった訳でもないのです。勿論、表面的な大義名分の陰に隠された悪意や偏見や打算がなかったとは言いません。ただ、それはこの時の北部側にもあったでしょうし、どのような時代のどのような主張についても多かれ少なかれあてはまることだと思います。

 疑いの余地なく奴隷解放が「正しいこと」だとしても、自分が莫大な負債を背負って合法的に入手した財産について、「あなたの財産を取り上げます。補償は一切しません。何故ならそれが正しいことだからです。」と言われる側の立場に立ってみれば、それがおよそ納得し難いことは容易に想像がつきます。

 ただ、やはり公平を期するために言っておくべきことは、南部の奴隷所有者たちがヘンリー・クレイやリンカーンの「有償奴隷解放」に対して、必ずしも聞く耳を持たなかったという事実でしょう。「補償」を有力な選択肢として協議に応じる代わりに、連邦離脱から南北戦争へと突っ走ってしまったことについて、やはり南部側は責めを負うべきでしょう。ただ、そのことと彼らの主張が無茶苦茶であったかどうかというのは別のことです。

南北戦争の影響

 実は米国の歴史の中で、最も米国人の犠牲が多かった戦争は、今以て南北戦争です。米国人同士が殺しあっているので当然と言えば当然ですが、それだけにこの戦争が米国史に落とした影の深さ、大きさは私たちのような外国人には測り知れないところがあります。そして、現在の米国政治にも陰に陽に様々な影響を与えています。

ナッシュビルを始めとする南部諸州に行くと、往々にして大規模な南北戦争の慰霊碑があって、戦没兵士が言わば英雄として顕彰されています。そのことを含め、物事を性急に善悪や当否で判断することなく、当事者の全てに対して可能な限り公平な理解を試みることが、後世の私たちの務めなのだと思います。滞米中のケンタッキー、テネシー両州への旅は、そんな思いを再確認させてくれた、実に有意義な経験になりました。


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