英語のテストの不思議

 まず、最初にお断りしておきますが、私は現在の英語の試験の方式を批判するつもりはありません。かけられるコストやマンパワー、必要な受験者のキャパシティ、試験と採点に関する時間制約、公平で客観的な評価基準の必要性など、現実的な諸要素を考慮すれば、今の試験方式は十分合理的だと思います。私がお話ししたいのは、受験者が試験というものをどのように考えるべきかということに過ぎません。また、便宜上「英語」の試験の問題としてお話しさせていただきますが、他の言語の試験も大同小異であることは当然の前提です。

英語の試験の奇妙さ

リスニング

 英語のリスニングテストというのは奇妙なものだと感じた方はいらっしゃるでしょうか。TOEICでも大学入試でも、複数の人物の会話を聞いて設問に答える問題がありますが、その会話に受験者は参加していません。当たり前ではないかと思うかもしれませんが、私たちの日常生活において、自分が参加していない他人同士の会話を聞き取らなければならないシチュエーションはまず発生しません。特にその会話が公開の討論会やシンポジウムではなく、至って個別的な性格のものだとすれば、それを一所懸命聞こうとすることは、通常「立ち聞き」と呼ばれます。同様に、他人が他人に宛てた書面やメールを読む機会があるとしたら、普通は「盗み読み」です。

 私たちが上達させるべきコミュニケーション能力とは、本来相手の自分に向けた言葉をしっかり受け止め、その相手に伝わりやすいように配慮しながら自分の表現を組み立て、相手に渡す対話能力であって、「立ち聞き」や「盗み読み」の能力ではないはずです。

リーディング

 また、試験の中で読むことになる英語の文章や資料類の中に、自分に必要な、或いは有益な情報は全く含まれていません。しかしながら、読解力或いは情報処理能力というのは、本来、文章や資料の中から自分に必要なポイントや必要でないまでも有益な情報を的確に抽出し、正確に読み取る能力なのではないでしょうか。

試験との上手な付き合い方

 最初に述べた通り、もろもろの制約の中で現在の試験方式が合理的だとしても、そこで求められ評価される能力が、本来の英語コミュニケーション能力や読解力・情報収集能力との間で、乖離を生じてしまっているという認識はしっかり持っていた方が良いと思います。そして、その本来の能力の向上と試験のスコア対策とをある程度切り分けて、合理的な戦略を持って語学に取り組む必要があると思います。もちろん一人一人事情は千差万別でしょうが、少なくとも試験対策が本来の英語力に直結するという幻想を過大に持たず、上手な試験との付き合い方を模索することが肝要だと思います。

理想の試験とは

 もし、コストもマンパワーも時間も受験者のキャパシティも一切考慮しなくて良いということであれば、私はこういう試験方式が理想だと思います。①「政治・社会」、「文化・芸術」、「ビジネス」、「科学技術」などのジャンルから一つを選択した上、その分野に関わる内容のある長めの文章を読む。②その文章の内容について自分の見解を英文で書いて提出する。③試験官と1対1或いはグループディスカッション方式で、初めの英文と自分の見解とを元に口頭試問を行って、合否を決する。やたらに時間とコストがかかり、公平な判定基準が難しく、受験できる人数が厳しく制限される方式なので、非現実的だとは思いますが、本来の語学の能力には最も即した方式だと思います。

追記:TOEICのスピーキング試験について

 唯一、諸々の現実的事情を考慮しても、どうしても納得できないのがTOEICのスピーキング試験です。全く反応のない端末に向かってひたすらしゃべり続けるという試験方式自体が既に問題ですが、出題されてから3秒以内で考えて15秒間しゃべり続けるというルールは現実的ではないと思います。自分が話し終わるか終わらない内に喋り出し、こちらを無視して延々と15秒間しゃべり続ける相手を、あなたは快く思うでしょうか?コミュニケーション能力の高い人だと感じるでしょうか?こちらについては、是非関係者にご一考をお願いしたいと思います。

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