「使える英語」と学校教育

 ここでは、学校教育で「使える英語」を扱うことについての私の考え方を紹介します。もちろん、この問題について多面的な考察が必要なことは承知していますが、問題提起のために、敢えて一面を強調した言い方をさせていただきます。異論のある方は多いでしょうが、議論の材料として受け取っていただければ幸いです。

 私は、成功・不成功以前に、この「英語教育改革」には根本的な誤解があったのではないかと思っています。端的に言えば、「使える英語」を教えれば「使えるようになる」訳ではない、「使える英語」と「英語が使える」は別のことだ、という認識が欠けていたのではないかと思います。

1 背景

私が大学を卒業した1980年代の半ばくらいから、学校では文法と読解が中心の「使えない」英語ではなくて、実用的な「使える英語」(空港でのチェックインの会話や道案内など)を教えるべきだという議論が、非常に盛んになった印象があります。その後、何度かの英語教育改革を経て、英語教育は「使える英語」の方向に大きく動いてきました。しかしながら、この「英語教育改革」が大成功だったと考える人は多くありません。むしろ、期待したような成果が出ていないと考える人の方が多いように思えます。

2 「使える英語」のデメリット

 「使える英語」=実用的な英語を教えることには、いくつかの大きなデメリットがあります。まず何よりも面白くない。語学を学ぶ楽しみの一つは何と言っても異文化の発想に触れることですが、飛行機に乗るとか、スケジュールの確認をするとか、そういう実用的な話には、そうそう面白い発見がありません。また、実用的な英語は、実用的であればこそなおさら、日本のように日常的に英語を使わない国では、全く使う機会がありません。さらに、これが非常に重要な点ですが、実用的な表現というのは、どうしてもTPOに依存する部分が大きい、言い換えれば「場にふさわしい表現」が必要になります。とにもかくにも言いたいことが伝われば良いという状態に比べて、「場にふさわしい」かどうかを気にしなければならない状態は、心理的なハードルが一段高くなり、話者に「この表現で良いんだろうか」という不安を抱かせがちです。

 つまり、「使える英語」は、学ぶモチベーションが上がりにくく、実地に使う機会がなく、いざ使おうとすると心理的ハードルが高い、ということになってしまうのです。

3 学校で教えることの弊害

 また、学校で「使える英語」を教えることがはらむ問題点は、別の側面から捉えることもできます。実用的な英語は、本来「実用」できれば良いので、とにもかくにもコミュニケーションが取れていればOKという、ある種の融通性・柔軟性を持っているはずのものですが、それが「テスト」がつきものの学校教育の世界に導入され、入試科目になることによって、「正解」を求められる存在になってしまったことです。こうなるとますます英語を使うことの心理的ハードルは上がります。

4 英語教育の再検討を

 大切なことは「使える英語」を教えるかどうかではなくて、「英語が使える」ようになるかどうかなので、英語教育については一度「使える英語」という発想を脇に置いて、英語を学ぶ生徒の皆さんが、「英語が使える」状態になるために、どのような教材、どのような教授法、どのようなカリキュラムが必要なのかを丁寧に議論する必要があると思います。

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