AI時代の語学学習

矛盾する2つの説

 世の中には一見矛盾するような2つの物言いがまことしやかに語られています。一つは、AIが発達し自動翻訳が普及すれば語学は必要なくなるというもの、もう一つは社会のグローバル化が進展すると誰もが英語を使えなければならなくなるというものです。私は、AIが語学を不要にするという説も、グローバリゼーションが英語を必須にするという説も、ともに間違っていると思います。ここではまず、前者のAIが語学を不要にするという説に対する反論を述べたいと思います。

AIが語学を不要にする?

 AIが語学を不要にすると言う人がいたら、ではまずあなたがAIを駆使して自分が全く知らない言語を使いこなしてみてくれ、と言いたいと思います。理屈ではなく実際に、誰かが「AIによって語学が不要になった」ところを見せてくれなければ、話はいつまでも「可能性」の議論の域を出ません。そして、ここまで語学に人並み以上に取り組んできたと自負している立場としては、「やれるものならやってみなさい」というのが正直な感想です。もちろん、実際にやって見せてくれたら私も考えを改めますが、まず無理だろうと思います。

言語によって世界の切り取り方が違う

 根本的な理由は、言語によって世界の切り取り方が違うことです。日本人にとって芍薬と牡丹は別の花ですが、英語話者にとっては同じPeoneyです。私が実感したこととして言えば、セントラルパークに木漏れ日の綺麗な場所がたくさんあるのですが、「木漏れ日」という概念を持たない米国人にこの風景は違って見えるのだろうな、と思ったことがあります。また、英語のModernは必ず今この時点を含む概念なので、英語では「近代」と「現代」を区別することが困難です。更に、日本人にとっては同じカボチャでも、米国人にはsquashとpumpkinが別の野菜だったりします。

翻訳の限界

 こうした単語レベルの違いに加えて、日本語の「〇〇だった」という表現を英語、更には他のヨーロッパ言語のどの時制に訳すべきかというのも、一筋縄ではいかない問題です。逆に、英語の過去形と現在完了形を日本語で完璧に訳し分けることはできません。

 どれほど自動翻訳が発達しても、他の言語に翻訳された文が、自分が言おうとしたことを過不足なく伝えているかどうかを確認する作業は無くなりません。何故なら、別の言語で「同じこと」を言えないケースは無数にあり、その場合、外国語のどの表現が「自分の言いたかったこと」に一番近いかは、言おうとした自分にしか分からないからです。

 さらに、人間はどのような言語においても、過去に誰も使わなかった表現を使うことが可能です。また、特定の仲間内でしか通じない符牒を、いつでも任意に設定できます。将来の人間が何を言うかは、誰にも全く見当がつきません。どれほど膨大なデータを背景にしようとも、将来にわたる人間の言語活動を全てカバーすることはできないのです。

AIは語学の強力な助っ人

 機械が人間の言語を完璧に代替できない理由はまだまだありますが、今述べただけでも、語学不要論が間違いであることは十分ご理解いただけると思います。思えば、かつてインターネットが登場した時も、グーグルが登場した時も、自動翻訳機が登場した時も、これで語学はいらなくなると言われました。AIも全く同じです。もちろん、AIは語学の補助としては非常に強力です。

 しかし、語学そのものを不要にすることはありません。これからも、語学の必要性は無くならないでしょう。

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