別のところで、学校教育で「使える英語」を扱うことの問題点についてお話ししましたが、ここでは、もっと根本的に「使える英語」とは何かについて考えたいと思います。哲学的にややこしい話にはなりますが、できるだけ分かりやすく説明するので、お付き合いください。
1 言葉の色々な役割
私たちが言葉を何のために使うのかと考えると、もちろん他の人とコミュニケーションを取るためではあるのですが、実はそれ以外にも色々なケースがあることが分かります。私は今こうして言葉でブログを書いていますし、本を読む時にも、映画を見るときにも使います。メモを取ったり予定表に書き込んだりする時にも使いますし、一人でああでもないこうでもないと考えているときには頭の中で言葉が動いています。
そもそも、言葉によって世界の見え方が変わります。日本には「いずれあやめか杜若」などという言葉がありますが、英語では、あやめも杜若も花菖蒲もみんなirisで、同じ花として認識されています。モクレンと辛夷(magnolia)、芍薬と牡丹(peony)、つつじと石楠花(rhododendron)の区別も英語にはありません。言葉で区別されていないものは、私たちの認識の中でも区別されにくいのです。
言葉には、他の人とコミュニケーションを取るほかに、世界を認識し、ものを考え、表現し、記録するという働きがあります。そして英語で世界を認識すること(Oh,that’s iris!)も、何か考えること(What shall I do on next Sunday?) も、記録を取ること(I finished my payment for electricity today.) も、「英語を使う」ことには違いありません。英語の本を読むとき、もちろん私たちは「英語を使って」います。でも、こういうことは「使える英語」という概念の中には通常入ってきません。
2 「使える英語」とは何か
「使える英語」と言われるのは、買い物をする、手続きをする、人にものを頼む或いは尋ねる、議論をする、発表をする、約束をするなど、総じて他の人に働きかけて何らかの結果を得る場面での表現を指す傾向があります。当然のことながらこうした場面で、望ましい結果が得られるかどうかは、相手がどう感じ、どう考えるかに依存します。つまり、「使える英語」という考え方自体の中に初めから「他人の評価」という要素が組み込まれてしまっている。極端に言えば、笑われない、恥ずかしくない、聞いてもらえる、分かってもらえる、「そうだね」と言ってもらえることこそ、「英語ができる」ということなのだという連想が働いてしまっているのです。
3 視野を広げてみる
他人の視線を意識しなければならないことはたくさんあって、勿論それはそれで大切なことです。でも、余りに他人の視線を意識しすぎると気持ちは萎縮しがちになります。そんな時は、もっともっと多彩な「英語を使う」場面に視野を広げて、自分が「英語でできる」ことを確かめてみては如何ですか。少なくとも視野を広げた分だけ気持ちが軽くなるのではないかと思います。「英語を使う」場面は、実はあなたが思っているよりずっと広いのです。
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