一口に「アメリカン・コンサーバティブ」と言っても色々な考え方の人がおり、決して一枚岩ではありません。ここでは、米国人が現に主張しているのを読んだり聞いたりした意見のうち、少なくとも多くのコンサーバティブの人から反対されることはないだろうと思われるものをご紹介していくことで満足するしかありません。しかし、この「小さな政府」(small government)が望ましいという点に関しては、比較的意見が一致しているのではないかと思います。どの程度の大きさの政府を許容するかは千差万別ですが、小さい方が望ましいことについての異論はほぼ無いように思えます。
「小さな政府」とは何か
学校の社会科の時間に「夜警国家」という言葉を習ったのをご記憶の方も多いと思います。どんなに極端なコンサーバティブであっても、警察と軍隊を否定する人はいません。むしろ、コンサーバティブの方が、一般に軍と警察に対して深い敬意を払っている傾向すらあります。消防、国境警備隊、移民管理局なども否定されない範疇に入ります。しかし、それ以外の政府活動については、誰かしら否定する人がいると言ってよい気がします。そもそも常設の「政府」が存在することに疑問を呈する人すらいるくらいです。
オバマ大統領が導入した公的医療保険制度にコンサーバティブが猛反対したのを覚えていらっしゃる方も多いでしょう。コンサーバティブの中には、福祉行政そのものに否定的な人がいます。最低賃金制度や累進課税には多くのコンサーバティブが反対です。環境行政にも反対する人は多いです。食品や医薬品の安全のためのもの含め政府による規制全般に否定的な人もいますし、公教育の役割に懐疑的な人すらいます。
Government is not a solution
このように挙げていくと、アメリカン・コンサーバティブというのは何とひどい奴らだろうと、日本人が感じるのはやむを得ないところかと思います。一切の規制を無くして大企業に好き勝手なことをやらせ、その結果環境が損なわれても対応せず、国民の貧困化を防ぐ手立てを講じず、高齢者・障碍者など福祉が必要とされる人は切り捨てるのが良いと思っている弱肉強食思想の権化ではないかと言いたくもなるでしょう。実際、そのようなニュアンスでコンサーバティブを捉えていると思われる文章も、日本でちらほら見かけます。
ここで一つ、絶対に誤解すべきでないことがあります。彼らは高齢者・障碍者に対する福祉事業、貧困対策、環境保全、食品などの安全確保や教育などが必要ないと言っているのではないのです。ただ、それを「政府」(Government)が担うことに反対しているのです。高齢者のケアや障碍者の生活支援も重要な問題です。貧困にあえぐ人に手を差し伸べ、貧窮に陥る人を少なくすることも必要なことです。環境も、食品の安全も、教育も当然重要な問題です。しかし、ここでコンサーバティブの人たちが良く使うのが、レーガン大統領の「Government is not a solution」(政府は解決策ではない)という言葉です。これらのことは皆重要な問題だけれども、「政府」にその問題の解決を求めるのは間違っている、と考えるのです。
何故政府に解決を求めてはいけないのでしょうか。これにも色々な見解があります。一般的な見解としては、政府に解決を任せれば規制やルールが増えて、市民の自由が失われる、という捉え方が挙げられると思いますし、政府の役割が増えればその分財政規模が膨らみ、結果的に市民の税負担が増えると考える人も多いと思われます。しかし、私の見るところ、この点に関しては、上記のような制度論的な見解だけではなく、更に深い本質的な思想が横たわっているように思えます。
We are responsible
「政府」に解決を求めるべきではないのであれば、誰が解決に当たるべきなのでしょうか。以前、経済学者ミルトン・フリードマン教授の講演の動画を見ていて、社会における貧困について、こんな風に言っていたのが強く印象に残っています。
(For poverty,) government is not responsible. WE are responsible.
これは、「貧困は政府の責任ではない。私たちの責任だ」という風にも訳せますが、ニュアンスとしては「responsible」という単語の元の意味を採って「貧困に応答すべきなのは政府ではない。私たちだ。」と訳したい気がします。どういうことかと言えば、貧困に苦しんでいる人がいるときに、まず手を差し伸べるべきはその家族、友人、隣人たちであり、更には地域コミュニティ、教会、慈善団体などなのです。そして、私たち一人ひとりが、チャリティやドネーションを通じて、或いはボランティア活動を通じて、そうした人々や団体に貢献するべきなのです。実際、政府の福祉政策に大反対しながら、慈善団体に多額の寄付をしたり、自分も福祉施設でボランティア活動をしたりするコンサーバティブもたくさんいます。
このように考える人にとって、問題の解決を政府に求めることは、本来自分が負わなければならない道徳的義務を、政府に肩代わりさせようとするに等しい行為であり、非倫理的だと考えるのは、極めて自然なことなのです。現に、こういう観点から「大きな政府は、市民の道徳的人格(moral character)を破壊する」という主張をする人さえいます。
これは私の推測ですが、米国は開拓地に世界各地から多くの入植者が集まって形成された国で、特に開拓が始まったばかりの地域では、政府の役割など期待できるはずもなく、とにかく近しい人たち、地域の人たち、信仰を同じくする人たちなど何らかの意味で「仲間たち」とお互いに支えあい、助け合っていく以外に問題を解決する方法はなかったでしょう。勿論、それだけが全ての原因だとは言いませんが、そうした国の成り立ちを考えれば、「問題があればまず自分たちで解決に当たるべき」という発想が生じるのは、理解しやすいことではないかと思います。そして、コンサーバティブの思想の根底にこういう発想があることを理解することで、彼らに対する見方は大きく変わるのではないかと思います。
アメリカンコンサーバティブ
コンサーバティブを知る必要性
その2政教分離
その3コンサーバティブ・ウーマン
その4資本主義と市場
その5妊娠中絶問題の前提
その6プロライフ(妊娠中絶反対派)の思想

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