シリーズの初めに
これから、何回かに渡って米国の保守派「アメリカン・コンサーバティブ」の人たちの価値観やものの考え方をご紹介していこうと思います。最初にお断りいておきますが、私自身必ずしも「アメリカン・コンサーバティブ」の価値観や思想の全てに賛同する訳ではありません。強く共感できることもあれば、見解を異にすることもあります。一方で、私の見る限り日本で「アメリカン・コンサーバティブ」の思想は大幅に曲解されて、不当な評価を被っていると思えます。そのため彼らに対する公平な評価のためには、敢えて「アメリカン・コンサーバティブ」の側に肯定的なバイアスをかけてご紹介する必要があると思っています。このシリーズの中で私の立場が「アメリカン・コンサーバティブ」寄りになるのは、そういう事情だとご理解ください。
今回はまず、なぜ日本人が彼らを理解する必要があるのかについて、私の見解を述べさせてもらいます。
私の経験から
まず、私の米国での経験からお話しします。私たちの事務所はニューヨークにありましたが、毎年1回はワシントンD.C.にある連邦行政機関や行政関連のシンク・タンク、近隣の地方政府などを訪ねて、米国の行政について学習し、理解を深める機会を設けていました。その中で、ほぼ毎年お話を伺いに行っていたのが「Tax Foundation」という団体です。立場としては民間のシンク・タンクなのですが、50州全ての税制とその変遷について詳細な研究を行っており、米国の地方税制について学習するには最高の訪問先でした。
さて、ある時事務所のメンバーの一人が「Tax Foundationだけは何を言われているか全然分からなかった」と述懐しているのを耳にしたのが私の疑問の始まりでした。というのも、彼はその時点で私よりもTOEICのスコアがかなり高く、一般的な意味でのリスニングに問題を抱えているようには全く見えなかったからです。私がほぼ完ぺきに理解できた英語を彼が「全然分からなかった」のは何故だろうか、というのが私の素朴な疑問でした。
その時はどういうことなのか全く分からなかったのですが、それから何か月か米国で生活するうちに、答えらしきものが見えてきました。提供しているデータは客観的なものですが、「Tax Foundation」自体は、極めて保守色の強い団体です。恐らく彼は、「アメリカン・コンサーバティブ」独特の言い回し、議論の前提や組み立て方、物事に対する価値観といったものがネックになって、その「自分が知っているのとは違う英語」についていけなかったのだろう、と思い当たったのです。
語学の勉強の落とし穴
私たちは英語を始めとする語学を学ぶとき、どんな価値観に対しても中立的な立場で言語そのものを勉強していると思い込んでいます。でも考えてみれば、必要に迫られて嫌々学ぶ人も勿論多いのですが、総じて語学を学ぶ人が、外国語を習得すること、外国人とコミュニケーションを取ること、外国との交流が盛んになることなどについて、肯定的に捉えているだろうことは容易に想像がつきます。そういう人たちは更に進んで、「グローバル社会の課題」や「国境を超えた価値観」などについても、初めから疑ってはかからないでしょう。語学に価値を感じること自体が、「国際交流」、「多文化共生」、「グローバリゼーション」などの価値観と親和性が高いというのは、かなり蓋然性が高い推測だろうと思います。
そういう目で見てみると、実際、英語だけでなくどの語学のテキストでも(ラテン語だけは例外に属しますが)、採り上げられている例文や話題、物事を見る視点はかなりそうした「グローバル」な価値観と極めて親和性が高くなっていることが見て取れます。グローバルな価値観に近い人が語学を勉強してできるようになって、自分たちで語学のテキストを作り、そのテキストを使って次の世代が語学を学習するというサイクルができているのかもしれません。
グローバルネットワーク
更に、そうして語学を習得した人たちは相互に意思疎通が図れますから、国境を超えたコミュニティが形成されていきます。グローバル企業、ジャーナリズム、学者・研究者の世界など国境の枠を超えて形成されているのが実情です。そうすると、とりわけ英語を通じて,そうした「グローバルネットワーク」に参加している人たちにとっての常識、共通の価値観、ものの考え方などが形成されていくことになります。
日本の英語教育、そしてそのバックグラウンドにある「グローバル人材」という発想自体が、このグローバルネットワークに参加できることを大きな目標にしている一面があるのは否定しがたいところです。そうなると勢い、英語教育においては、他の言語にも増して、グローバルネットワークにおける常識や価値観が強く反映されることになります。
「保守」という立場
一方、「アメリカン・コンサーバティブ」を始めとする「保守派」は、様々な立場がありますが、多かれ少なかれ自国や自民族の独自の伝統・文化・生活習慣・価値観などに重きを置くことにおいては、おおむね共通しています。その意味で保守派の価値観は「グローバルネットワーク」とは違う基盤を持ち、違ったものの見方、違った語り方をすることになります。私の見る限り、殊に米国においては両者の間の溝が一層深まっているように思えます。そのために、「グローバルネットワーク」の価値観を当然として英語を学んだ日本人にとって、「保守派」の使う英語を理解することが難しくなっているのではないか、というのが私の見方です。
しかし、米国では伝統的に、人口の三分の一がコンサーバティブ、三分の一が無党派、三分の一が「グローバルネットワーク」に近い立場のリベラルという状況になっており、コンサーバティブは決して少数派ではありません。コンサーバティブの使う英語を理解できなければ、本当に英語で米国や米国人を理解したとは言えないのです。

コメントを残す